仏に会うては仏を殺せ

「仏に会うては仏を殺せ」というのは、仏は自分自身の内に在るものであり、導いてくれるのは内なる仏であり、外にある人や物ではないということなのではないだろうか。

仏を外に求めていると、いつになっても悟りは得られない。やすらぎも得られない。

つまり、宗教をも信じてはいけない、ということではないだろうか。

 

釈迦は真理(悟り)を得るための教え(方法)を説いたのだと思う。

真理(悟り)とはこれだということは言っていないと思う。

だから「仏に会うたら仏を殺せ」と言ったのだと思う。

「真理(悟り)とはこういうことです」という宗教は偽物だということだ。

ひとりひとりが違っているように、真理(悟り)も同じではないのかもしれない。

 

 

ここ数日、頭に浮かび、感じたことです。

ネットで調べると、私が感じたことがそのまま書けないと思い、調べないまま書きました。

 

通常の解説とはちがっているかもしれません。

まちがっているかもしれません。

ただ、私はこんなふうに感じた、ということです。

 

釈迦だって、詳しく解説したわけではないと思うのです。

だから、本当のところは、仏典の文章から読み取る、読み解くしかないのです。

 

そして、仏典は翻訳を数度経て、日本語になっています。

外国語を日本語に訳すと、感じが変わってしまったり、母国語を話す人でなければわからない微妙な雰囲気が伝わらないことがありますよね。

だから、いちばん最初にブッダが説いた教えと、表面上は同じかもしれませんが、ニュアンスのようなものが変わっていることもあると思うのです。

 

釈迦が生きていたころは、仏典の文書化は許されず、暗記によってその言葉を伝えていたそうです。

 

拈華微笑

真理(悟り)は、言葉で伝えるものではないのです。

感じ取るものなのです。